東京地方裁判所 平成9年(行ウ)283号 判決 2000年2月29日
原告
西原正也
原告
田口由紀
右両名訴訟代理人弁護士
松井康浩
被告
国
右代表者法務大臣
臼井日出男
右指定代理人
森悦子
同
安岡裕明
同
軽部勝治
同
中田敏
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 雪谷税務署長が原告らに対して平成六年六月三〇日付けでした被相続人西原正人の相続開始に係る相続税の各更正処分及び各過少申告加算税の賦課決定(審査裁決ないし平成八年四月三〇日付けの減額更正処分及び過少申告加算税の変更決定により一部取り消された後のもの)に基づく納税義務について、原告らにその未納部分の納税義務が存在しないことを確認する。
二 被告は原告西原正也に対し、金九七〇七万九八二二円を支払え。
三 被告は原告田口由紀に対し、金三二五万九二〇〇円を支払え。
第二事案の概要
本件は、原告らが、雪谷税務署長が原告らに対して平成六年六月三〇日付けでした被相続人西原正人の相続開始に係る相続税の各更正処分及び各過少申告加算税の賦課決定(審査裁決ないし平成八年四月三〇日付けの減額更正処分及び過少申告加算税の変更決定により一部取り消された後のもの)に基づく納税義務に関し、原告らにその未納部分の納税義務が存在しないことの確認を求めるとともに、右納税義務の履行として原告らが納付した金員につき被告に対し不当利得として返還を求めるものである。
一 前提事実(文中に証拠を摘示したもの以外は、争いのない事実である。)
1 亡西原正人(以下「亡正人」という。)は、平成三年一二月二一日に死亡した。原告らは、亡正人の子であり、その遺産を相続により承継(以下「本件相続」という。)した。
2 亡正人は、大阪府東大阪市金物町八番七所在の宅地六八三・八三平方メートル(以下「本件土地」という。)及び右土地上に存在する三階建ての事務所・倉庫・居宅(以下「本件建物」といい、本件土地と併せて「本件土地建物」という。)を所有していた。
本件土地建物には、昭和五六年二月二二日受付の登記により、債務者を西原商事株式会社(以下「西原商事」という。)、債権者を大阪金物団地協同組合とする極度額四二〇〇万円の根抵当権(以下「本件根抵当権」という。)が設定され、その後、右根抵当権の極度額は、平成二年七月九日受付の登記により、三億一〇三〇万円に変更された。
なお、西原商事の代表取締役であった西原正寿は、亡正人の兄である(甲二一)。
3 原告らは、平成四年六月一八日付けで、亡正人の遺産について遺産分割協議を行い、本件土地建物は、原告西原正也(以下「原告西原」という。)が取得することとなった(甲一)。
4 本件建物については、西原正寿に対して、平成三年一一月一一日代物弁済を原因として、平成四年八月二〇日受付の所有権移転登記がされた(甲八)。
5 本件相続に係る相続税についての申告及び課税処分等の経緯は別表一及び二記載のとおりであり、具体的には次項以下に記載するとおりである。
(一) 原告らは、雪谷税務署長に対し、平成四年六月一九日、本件土地の課税価格を本件根抵当権の存在を考慮せずに二億二一五六万〇九二〇円と評価して、本件相続に係る相続税の申告(以下「本件申告」という。)をした。また、原告らは、右申告に係る相続税の納付のため本件土地を物納する旨の申請をしたが、雪谷税務署から当該物件は不適切であるとの指摘を受け、右相続税について延納申請をした(甲二、二六)。
(二) 雪谷税務署長は、原告らに対し、平成六年六月三〇日付けで、本件土地の課税価格を本件根抵当権の存在を考慮せずに四億三七一五万四四六五円と評価して、本件相続に係る相続税の各更正処分(以下、後記の審査裁決ないし減額更正処分による取消し後のものを「本件更正処分」という。)及び各過少申告加算税の賦課決定(以下、後記の審査裁決ないし過少申告加算税の変更決定による取消し後の右各過少申告加算税賦課決定と本件更正処分と併せて「本件各処分」という。)をした。
(三) 原告らは、右各処分を不服として、同年八月三一日、異議の申立てをしたが、雪谷税務署長はこれを棄却する決定をした。
原告西原は、さらに不服があるとして、国税不服審判所長に対し、同年一二月二二日、審査請求をしたところ、同所長は、本件土地が金物団地に所在するという特殊事情を考慮して、その課税価格を三億〇一五六万九〇三〇円であると評価して、平成八年三月二九日付けで、本件各処分を一部取り消す裁決をした。右裁決により、原告西原において納付すべき税額は一億〇二一一万六七〇〇円、過少申告加算税は三一〇万一〇〇〇円となった(甲六)。
原告西原は、自ら、本件各処分に対する異議の申立て及び審査請求の手続を行い、本件更正処分における本件土地の評価が高額にすぎるとの主張したが、本件根抵当権の存在等のため本件土地建物を無価値と評価すべきであるとの具体的主張はしなかった(甲二六)。
(四) また、雪谷税務署長は、平成八年四月三〇日、原告田口の相続税について、減額更正処分及び過少申告加算税の変更決定を行い、その結果、同原告において納付すべき税額は、六八一万四二〇〇円、過少申告加算税は六万三〇〇〇円となった。
(五) 原告らは、別紙一記載のとおり納税した。
原告田口由紀は、平成八年四月三〇日付けの減額更正処分及び過少申告加算税の変更決定に基づき、同年六月二一日に、過少申告加算税、利子税及び延滞税として合計二九万三六〇〇円、同年一一月二〇日に、利子税として五万六三〇〇円の還付を受けた。
6 西原商事は、平成九年八月二九日、解散をし、同年九月三〇日、不渡手形を出して倒産した(甲九の3、一〇の3、一一、二五)。
原告西原及び西原正寿は、平成九年一〇月一六日付けの売買契約により、本件土地建物を第三者に売却し、同日付けでその旨の所有権移転登記を経由した。そして、右売買の代金二億〇六八五万円により、西原商事の大阪金物団地協同組合に対する債務二億八七四〇万円のうち二億〇六八五万円が弁済された(甲七、八、一二、一三、一六、乙六)。
二 争点
本件の争点は、<1>本件土地建物の相続税評価に当たり、相続開始時において西原商事を債務者とする本件根抵当権が設定されていたことを考慮せず、また、本件建物が原告らの相続財産であるとしてなされた本件申告ないし本件各処分が、錯誤ないし重大かつ明白な違法により、無効であるか否か(本件申告ないし本件各処分が無効であるか否か)、<2>本件申告及び本件各処分が有効であるとした場合、本件土地建物は、相続開始後、西原商事の倒産に伴い本件根抵当権の被担保債権の弁済に充てられ、原告西原において求償も得ることができず、無価値になったことにより、後発的に、被告において本件申告ないし本件各処分に基づく課税の効力を主張し得ないものとなるか否か(本件申告ないし本件各処分につき後発的是正事由が発生しているか否か)であり、これらの点に関する当事者の主張は、次のとおりである。
1 本件申告ないし本件各処分が無効であるか否か(争点1)
(原告らの主張)
(一) 本件相続開始時において、本件土地建物には、西原商事が負担する多額の債務を担保するために極度額を三億一〇三〇万円とする本件根抵当権が設定され、また、これを大阪金物団地協同組合の組合員以外の者に譲渡等をすることは困難な状態にあったところ、<1>このような土地建物は、経験則上、売買が困難であることからその交換価値は著しく低額であるうえ、<2>西原商事は営業不振により相続開始以前から経営不振の状態にあって、原告らは、本件根抵当権が実行された場合、西原商事に対する求償権を行使することが不可能な状態にあった。
以上のとおり、本件土地建物は、本件相続開始時において無価値であったにもかかわらず、これを価値あるものとして評価し、本件申告及び本件各処分がなされたものである。そして、雪谷税務署長においては、西原商事の右の経営状況を容易に知ることができた。
そうすると、本件申告は、錯誤により無効であるというべきであり、かつ、更正の請求以外にその是正を許さないならば納税者の利益を害すると認められる特段の事情のある場合に該当するから、原告らには本件申告の錯誤無効の主張をすることが許されるべきである。
また、雪谷税務署長が行った本件各処分は、「利益なきところに課税なし」という税法の基本原則に反し、著しく信義・公平の原則及び社会通念に反するものであり、また、本件根抵当権が実行された場合に原告西原が取得することになる求償権が無に帰してしまうことは一見明白であるから、重大かつ明白な違法があるものとして、無効である。
(二) 原告らは、本件建物を相続財産として申告したが、亡正人の生前において同人の西原正寿に対する債務の代物弁済に供されていたものであって、その登記が相続開始後になされたものにすぎないのであるから、相続財産ではなかったというべきである。
本件建物が原告らの相続財産であることを前提としてされた本件申告ないし本件各処分は、前記同様の理由により、無効というべきである。
(三) 以上のとおり、本件土地建物の評価額については、零円とすべきところ、これによって原告らの相続税を計算すれば、別紙二のとおり、原告らにおいて本件相続に係る相続税の支払義務はないこととなる。
(被告の主張)
(一) 相続税法二二条は、相続により取得した財産の価額は、当該財産の取得の時における時価による旨規定しており、ここに「取得の時」とは、相続開始時、すなわち被相続人の死亡の日を意味する。したがって、相続による財産取得後に財産自体の変化、経済事情の変化でその財産の価値に増減が生じたとしても、それは財産の評価上考慮されないものである。
そして、抵当権付き不動産の相続税評価については、抵当権の負担を考慮せず、抵当権が設定されていないとした場合の当該不動産の評価額と同一の価額で評価すべきものである(相続税法基本通達一一の二―一(3)参照)。
ましてや、本件の事実関係によれば、本件根抵当権については、相続開始時である平成三年一二月二一日の時点において、その実行が確実であり、かつ西原商事に対する求償権の行使も不可能な状態にあったとの事情は認められず、本件土地建物の相続税評価に当たり、本件根抵当権の負担を考慮する必要がないことは明らかである。
すなわち、そもそも債務者が弁済不能の状態にあるか否かは、一般に、債務者が破産、和議、会社更生あるいは強制執行等の手続開始を受け、又は事業閉鎖、行方不明、刑の執行等により債務超過の状態が相当期間継続しながら、他からの融資を受ける見込みもなく、再起の目処が立たないなどの事情により事実上債権の回収ができない状態にあることが客観的に認められるか否かで決せられるべきであるところ、西原商事は、本件相続開始当時、多額の負債を抱えてはいたものの、期限の利益の喪失事由も発生しておらず、本件相続開始の前後を通じて伸銅品卸売業等の営業を通常どおり続行し、大阪金物団地協同組合及び八光信用金庫等との取引も継続しており、新規融資を受けて新規不動産事業に資本を投下するなどしているのであって、西原商事が不渡りを出したのは平成九年に至ってからであり、本件相続開始当時、西原商事が弁済不能の状態にあったとは到底認められず、本件抵当権の実行が確実であったとはいえないものである。
また、仮にその実行がなされたとしても、西原商事の右の状況に照らせば、原告らは西原商事に対し求償することが可能であったというべきである。
よって、本件土地建物の相続税評価に当たり、本件根抵当権を考慮すべきであったとする原告らの主張は理由がない。
(二) 相続税法一三条一項一号は、被相続人の債務で相続開始の際現に存するものについては、その金額を当該相続財産の価額から控除する旨定めている。
しかしながら、本件のように自己の債務ではなく、他人の債務の担保のために自己所有の財産を担保提供する物上保証の場合、物上保証人は、物上保証により担保される債務そのものを負担するものではなく、債権者も物上保証人に対し、金銭での請求や他の財産に対し強制執行することはできないのであるから、物上保証により担保される右債務は、被相続人固有の債務でないことが明らかであり、相続税法一三条一項一号にいう控除すべき「被相続人の債務」には該当しない。したがって、本件根抵当権の負担は、債務控除の対象ともなり得ないものである。
(三) そもそも相続税に関しては、その税額が過大であることを是正する手続として更正の請求が定められているのであるから(国税通則法二三条一項及びその特則としての相続税法三二条)、右是正のためには法が定めた要件に従い、更正の請求をすべきであり、更正の請求によらないことが許容されるのは、その過大申告に係る錯誤が客観的に重大かつ明白であって前記国税通則法及び相続税法の定めた方法以外にその是正を許さないならば、納税義務者の利益を著しく害すると認められる特段の事情がある場合に限られると解すべきである。
また、違法な行政処分であっても当然に無効ではなく、その瑕疵が重大かつ明白な場合に限って無効と解すべきであって、課税処分についても同様である。そして、その瑕疵の明白とは、処分の外形上客観的に処分庁の誤認が一見看取できるものでなければならず、またそのような処分の無効原因は、無効を主張する者において具体的事実に基づいて主張すべきである。
これを本件についてみるに、そもそも本件においては、本件土地建物の相続税評価に当たり、本件根抵当権を考慮すべき理由は全くないのであるから、これを考慮せずになされた本件申告及び本件各処分に原告らが主張するような錯誤若しくは瑕疵は存在せず、原告らの主張は失当というほかはない。
(四) 原告らは、本件建物は所有権移転登記こそ本件相続開始後であるものの、その原因は本件相続開始前の代物弁済であるから、本件相続に係る取得財産に含まれるべきではなかったとも主張する。
被告は、原告らの本件建物は本件相続により取得した財産に含まれるべきではなかった旨の主張を認めるものではない。しかしながら、原告らが本件建物により代物弁済したとする債務は、本件相続により原告らが承継した相続債務として、原告らが本件申告に債務控除の対象として計上した西原正寿に対するものである。そうすると、相続開始前に代物弁済により所有権が移転していた場合、本件建物の評価額四三三〇万七二五三円が本件相続に係る積極財産から除かれる一方、右金額に相当する西原正寿に対する相続債務が債務控除の対象債務から除かれることになり、課税標準の総額には何ら影響を及ぼさず、本件建物及び右債務はいずれも原告西原が承継するものとして申告されていたのであるから、原告西原の相続税についても同様に何ら影響を及ぼさない。したがって、原告らの右主張は、本件においては何ら意味のないものというほかはない。
2 本件申告ないし本件各処分につき後発的是正事由が発生しているか否か
(争点2)
(原告らの主張)
(一) 仮に、本件相続開始時において、本件土地建物に価値が認められたとしても、西原商事は平成九年に倒産して清算中であり、原告西原は、平成九年一〇月一六日、本件土地建物を売却して、その譲渡代金を全額根抵当権者に対する債務の弁済に充てたものであり、原告西原において西原商事に対する求償もできなかったのであるから、本件土地建物は右譲渡及び債務の弁済の時点で相続財産として無価値となったものである。したがって、本件相続に係る相続税については、後発的に、課税庁において課税の効力を主張し得ないものとなったというべきである。
(二) 税務行政の時間的事由により、相続開始時において相続財産である不動産の相続税評価を行うに当たり抵当権について考慮しないことが許されるとしても、その後に当該抵当権が実行され、求償権の行使も全く不能な状態となり、当該相続財産が無価値となって、右相続税評価を前提とする課税が不合理になった場合には、もはや課税庁は右課税の効力を主張して未納の相続税を徴収することができず、既に納付させた相続税を返還すべきことは理の当然である。
このことは、最高裁昭和四九年三月八日第二小法廷判決(民集二八巻二号一八六頁)が「結果的に所得なきところに課税したものとして、当然にこれに対するなんらかの是正が要求される」と判示していることに照らしても是認されるべきである。
被告は、本件が「未必所得」ではないから、右判例は本件に適用されないと主張するが、抵当権の設定されている不動産は、その価値が確定していないのであるから同断である。すなわち、原告らは、相続により取得した財産の価額がその後の社会経済事情によって減額したと主張しているものではなく、もともと巨額の根抵当権が設定されていたことが原因となって相続財産として価値がなくなったことを問題としているのである。
なお、原告らは、本件建物を相続財産として申告したが、実際には、本件建物は、亡正人の生前において同人の西原正寿に対する債務の代物弁済に供されていたものであるから、相続財産ではなかったというべきであり、また、その後、西原正寿は本件建物を本件根抵当権の被担保債務の弁済を目的として売却したのであるから、結局、右代物弁済は無意味となり、原告らは西原正寿に対し依然として代物弁済前の債務を負担しているというべきである。以上のとおり、相続開始後に本件建物の登記名義を西原正寿に移転したことをもって、原告らが本件建物の価値を享受したとする被告の主張は失当である。
(被告の主張)
(一) 相続によって取得した財産の価額は、当該財産の取得の時における時価によるものであるところ(相続税法二二条)、右にいう「取得の時」とは、具体的には被相続人の死亡の日をいうものであって、相続による財産の取得後に何らかの理由によってその価値が低落した場合も、課税価格に算入されるべき価額は、相続時のその財産の時価であるから、原告ら主張の事情は、何ら本件相続に係る相続税の課税要件事実に消長を来すものではない。
また、申告ないし更正により確定した税額を是正すべき事由となる後発的事由が生じた場合の救済は、更正の請求によって図られるべきものであり、その更正の請求については国税通則法二三条二項及びその特則としての相続税法三二条がそれぞれ定めているところ、原告らは、右後発的事由が発生した日を基準とした更正の請求の提出期限内に更正の請求を行った事実はないし、そもそも原告らが主張するような事情は、国税通則法及び相続税法が定める後発的事由には該当しないし、更正の請求によらずして是正すべき、客観的に重大かつ明白な、納税義務者の利益を著しく害すると認められる特段の事情にも該当しないことは明白である。
よって、原告らの主張は理由がない。
(二) 原告らが引用する最高裁昭和四九年三月八日判決の事案は、雑所得として課税の対象とされた金銭債権が後日貸倒れによって回収不能となったというものであり、「権利確定主義のもとにおいて金銭債権の確定的発生の時期を基準として所得税を賦課徴収するのは、実質的には、いわば未必所得に対する租税の前納的性格を有するものであるから、その後において右の課税対象とされた債権が貸倒れによって回収不能となるがごとき事態を生じた場合には、先の課税はその前提を失い、結果的に所得なきところに課税したものとして、当然にこれに対するなんらかの是正が要求されるもの」であるとされたものである。これに対して、本件においては、原告西原は、本件相続時に本件土地建物を相続財産として現実に取得し、本件土地については所有権移転登記を経由しており、一旦取得した本件土地建物に対して課税されているのであるから、右最高裁判決とは事案を異にし、同判決の法理を本件に適用することはできないというべきである。
原告西原は、平成四年中に、西原正寿へ「相続による債務の代物弁済」として本件建物を譲渡したとして、所得税の申告をしており、右申告によれば右譲渡に係る譲渡所得の収入金額を四三三〇万七二五三円としているのであるから、本件土地建物の所有権を相続により取得したことによって、原告西原がその経済的価値を享受したことは、このことからも明らかである。
第三当裁判所の判断
一 前記第二の一記載の事実に、証拠(甲二一、二五、二六、二八、証人西原正寿)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
1 西原正寿、亡正人及び原告らの関係と本件土地建物の権利関係
(一) 亡正人の兄である西原正寿は、昭和二八年ころ、大阪において日興金属株式会社、東京において昌栄金属株式会社(以下「昌栄金属」という。)を設立し、地金の売買などをしており、昌栄金属については、亡正人をその副社長にして経営を任せていた。
亡正人は、昭和五四年ころ、クモ膜下出血で倒れ、仕事ができない状態となった。亡正人の長男である原告西原(昭和三五年三月一八日生)は、大学を卒業後、父の後を継いで昌栄金属に入社し、現在その社長をしている。昌栄金属は、非鉄金属の中間卸問屋であるが、近時売上が減少し、従業員は四名となっている。
(二) 西原正寿は、昭和四三年に本件土地につき所有権移転登記を得た。また、西原商事は、昭和四四年に本件建物につき所有権保存登記を経た。
本件土地は、店舗の集団移転計画に基づき移転してきた金物関係卸売業者の店舗等が集合している地域(金物団地)に所在する。右地域の業者を組合員として組織されている大阪金物団地協同組合は、定款において、組合員が金物団地内において所有する土地建物等を譲渡し又は貸し付けるときには、組合の承諾を得るべきことを定めている(甲六)。
(三) 本件土地建物には、昭和五六年二月二二日受付の一連の登記により、本件根抵当権設定等の登記がされているところ、その内容は以下のとおりである。
(1) 昭和五六年二月二二日 根抵当権設定
(2) 極度額 四二〇〇万円
(3) 根抵当権者 商工組合中央金庫
債務者 大阪金物団地協同組合
債権の範囲 銀行取引、手形債権、小切手債権
(4) 根抵当権者 大阪金物団地協同組合
(大阪金物団地協同組合は商工組合中央金庫に優先)
債務者 西原商事
債権の範囲 手形貸付取引、手形割引取引、手形債権、小切手債権
(四) 本件根抵当権の極度額は、以下のとおり変更された。
(1) 昭和五六年一二月二四日受付の変更登記 九三三〇万円
(2) 昭和六〇年六月一二日受付の変更登記 一億二九二〇万円
(3) 昭和六三年九月一六日受付の変更登記 一億八〇九〇万円
(4) 平成二年七月九日受付の変更登記 三億一〇三〇万円
(5) 平成四年九月一〇日の変更登記 四億一三七〇万円
(五) 亡正人は、昭和六一年三月一九日、西原正寿及び西原商事から、本件土地建物を、代金合計三億六二四〇万円で取得し、同日受付の所有権移転登記を経た。
(六) 亡正人は、本件相続開始当時で、西原正寿に対して、建築資金として四九五〇万円、運転資金として四〇〇〇万円、借入利息として三九一万九九九九円の合計九三四一万九九九九円の債務を負っていた。
西原正寿は、本件建物につき、右債務についての平成三年一一月一一日代物弁済を原因として、平成四年八月二〇日受付の所有権移転登記を得た。右代物弁済を原因とする譲渡に係る譲渡価格は、四三三〇万七二五三円であった(甲八、乙四)。
(七) 原告らは、平成四年六月一八日付けで、亡正人の遺産について遺産分割協議を行った。原告らが取得した相続財産は以下のとおりである(甲一)。
(1) 原告西原が取得した不動産
ア 本件土地建物
イ 東京都墨田区向島所在の宅地(昌栄金属が所有する社屋の敷地。以下「向島土地」という。)一一六平方メートル(甲一九の1、2)
ウ 東京都大田区東雪谷所在の宅地三〇・九五平方メートル及び居宅
(2) 原告田口が取得した不動産
東京都大田区東雪谷所在の宅地三九・五二平方メートル及び居宅
(八) 西原商事は、原告西原に対して、本件相続開始後、本件土地の地代として、年間約一八〇万円程度の金員を支払っていた(甲一四の5、7)。
2 西原商事の経営状況
(一) 西原商事は、西原正寿により、昭和三三年一月一〇日、資本金一〇〇〇万円で設立された会社であり、鉄鋼製品・原料の販売、伸銅品卸売等を業としていたが、昭和五〇年ころ、社員が会社の売上金を持ち逃げしていたことが発覚し、これによる損害が経営の負担となったほか、市況の悪化により必ずしも経営状態は良好ではなかった。
(二) 西原商事は、本件相続開始後においても、伸銅品卸売業等を営んでおり、平成六年頃までは、銅のスクラップの仕入先として二〇社程度との取引があり、三宝伸銅工業や神戸製鋼などの伸銅所約三社に対し商品を納めていた。
(三) 西原商事は、昭和六三年、大阪市中央区島之内二丁目所在の宅地を購入し、八光信用金庫からの借入金二億五〇〇〇万円などを原資として、平成三年四月、右宅地上に鉄骨造七階建の建物(以下、右土地及び建物を「島之内の土地建物」という。)を建築した(甲一四の1、一八の1及び2)。西原商事は、右土地及び建物の取得に合計五億円程度の費用を支出したが、これを七億五〇〇〇万円で転売する予定であった。
(四) 西原商事の平成二年七月一日以降の各事業年度の売上、売上総利益、当期損益等は次表のとおりであり、毎期、約二三〇〇万円ないし約六一〇〇万円程度の欠損があったとして税務申告をしていた(甲一四の1ないし7)。
<省略>
(五) 本件相続開始時である平成三年一二月二一日現在における大阪金物団地協同組合の西原商事に対する貸付残高は、二億二八〇〇万円であった。以後、右貸付残高は増加し、平成六年三月三一日の時点で、三億二九〇〇万円となったが、その後減少した(乙六)。
(六) 前記のとおり、西原商事は、本件相続開始後、継続して赤字の状態にあり、転売して利益を得る予定であった島之内の土地建物についても、その見通しが立たない状況であったので、事業の継続を断念することとし、平成九年八月二九日、解散決議をし、同年九月三〇日、不渡手形を出して倒産した(甲九の3、一〇の3、一一、二五)。
(七) 西原商事の清算第一期(平成九年八月三〇日から平成一〇年六月三〇日まで)の決算状況は、以下のとおりである(甲二二、一七)。
(1) 資産合計 九二八三万九九九一円
ア 島之内の土地建物 合計金九二六五万四四〇〇円
ただし、右土地建物には、平成二年四月六日に極度額金二億五、〇〇〇万円の根抵当権が八光信用金庫のために設定されており(甲一八の1、2)、その残債務は後記のとおり金一億四〇〇〇万円余ある。
イ 八光信用金庫における普通預金 一万八三五七円
ウ 出資金 合計三万円
(2) 負債合計 八億一三六四万〇三八三円
ア 大阪金物団地協同組合からの短期借入金五〇四〇万円及び右借入金に係る未払利息二二七万〇二四七円
イ 八光信用金庫からの長期借入金一億四〇〇〇万円及び右借入金に係る未払利息三八七万四三五三円
ウ 日興金属株式会社からの借入金三億六六〇〇万円
エ 西原正寿からの借入金八〇六五万円
オ 西原扶久江からの借入金五〇〇万円
カ 原告西原に対して負担している求償債務金一億六八八五万円
なお、原告西原及び西原正寿は、平成九年一〇月一六日付けの売買契約により本件土地建物を第三者に売却し、同日付けでその旨の所有権移転登記を経由した。そして、右売買の譲渡代金二億〇六八五万円により、西原商事の大阪金物団地協同組合に対する債務二億八七四〇万円のうち二億〇六八五万円が弁済された(甲七、八、一二、一三、一六、乙六)。
3 原告西原がした本件各処分に基づく相続税の納付
(一) 原告西原は、金銭による相続税の納付が不可能であったことから、向島土地の物納を申請したところ、右土地は、平成六年一一月二九日、四六五〇万八〇二二円で収納された(甲一九の1)。また、右土地上の建物について、本件相続税を原因とし、原告らを債務者とする抵当権が設定された。
(二) 原告西原は、平成八年三月一九日付けで、東京国税局により、本件土地建物及び居住する土地建物について差押えを受けた。原告西原は、国税不服審判所長の審査請求に対する裁決後、西原正寿から約四五〇〇万円を借り受けて相続税を納付し、平成九年一月六日、右差押えの解除を得た(甲二〇の1、2)。
二 本件申告ないし本件各処分が無効であるか否か(争点1)
1 相続により取得した財産の価額は、特別の定めのあるものを除き、当該財産の取得の時における時価により評価される(相続税法二二条)。ここにいう「時価」とは、課税時期における当該財産の客観的交換価値をいい、右交換価値とは、それぞれの財産の現況に応じ、不特定多数の当事者間において自由な取引が行われる場合に通常成立すると認められる価額であって、いわゆる市場価格と同義であると解するのが相当である。
2 ところで、担保権の設定された財産の価額については、一般に、担保権が実行されるか否かが不確実であり、また、担保権を実行されても債務者に求償することが可能であるから、担保権が設定されていないとして評価した当該財産の時価によるのが相当である。しかしながら、相続の時点において、債務者が弁済不能の状態にあるため担保権を実行されることが確実であり、かつ、債務者に求償して弁済を受ける見込みがないという場合には、債務者が弁済不能の部分の金額を控除して当該財産の価額を評価するのが相当である。したがって、このような場合には、担保権が設定されていないとして評価した当該財産の価額から、債務者が弁済不能の部分の金額を控除して課税価格を算出すべきこととなる。
3 これを本件についてみるに、前記一で認定したところによれば、本件相続開始当時、債務者たる西原商事は、赤字決算の状態にあり、多額の借入金を抱えていたことは事実であるが、主要な債権者であった八光信用金庫及び大阪金物団地協同組合に対して債務不履行の状態にあったわけではなく、銀行取引停止処分等の期限の利益の喪失事由も発生しておらず、従前どおりの事業を継続しており、平成六年までは大阪金物団地協同組合から追加与信を受けて融資残高も増加していたものであり、また、西原商事は、相続開始直後の平成三年四月には、島之内の土地に建物を完成させ、転売により利益を得ようとしていたものである。そして、西原商事について銀行取引停止処分がなされたのは、本件相続開始から約五年九か月後のことであった。
以上の事情からすれば、西原商事が、本件相続開始当時において、本件根抵当権の被担保債権につき弁済不能の状態にあり、担保権の実行が確実であったということはできないし、また、本件根抵当権の実行がされた場合、原告西原の西原正寿に対する求償権の行使が不可能な状態にあったともいえない。他に、右認定を覆し、原告らの右主張事実を認めるに足りる証拠はない。
4 原告らは、本件土地建物は、所有資格が大阪金物団地協同組合の組合員に制限され、また、西原商事が負担する多額の債務を担保するために極度額を三億一〇三〇万円とする本件根抵当権が設定されており、このような土地建物は、経験則上、売買が困難であるから交換価値は著しく低額となるうえ、西原商事は経営不振の状態にあり、原告らは抵当権が実行された場合に求償権を行使することが不可能であったと主張する。
しかしながら、相続開始の時点において、西原商事が弁済不能の状態にはなく、事業を継続しうる状態にあったことは前記認定のとおりであり、また、本件土地建物の転売先が組合員に限定されることは交換価値を減じる事情であるにせよ、そのことによって交換価値がなくなるわけではないから、原告らの右主張は採用することができない。
5 なお、原告らは、本件建物は相続開始前に代物弁済に供されたものであって、相続財産を構成しないと主張する。
しかしながら、原告らは、本件申告において、積極財産として本件建物を計上する一方、消極財産として、右代物弁済の対象となった債務を計上しているところ、右申告内容が誤りであるというのであれば、原告らは、国税通則法二三条一項に定める更正の請求の手続によりその是正を求めるべきであり、右更正の請求の手続によらずに本件申告の無効を主張することは許されないものというべきである。また、仮に、本件各処分に原告主張のような誤りがあったとしても、それは右各処分を無効ならしめるような重大かつ明白な瑕疵ということはできない。したがって、原告らの右主張は採用することができない。
6 以上によれば、原告らが本件申告に当たり、本件土地の課税価格を本件根抵当権の存在を考慮せずに評価したことに錯誤があるとはいえず、また、本件各処分が同様の評価方法を採用したことに瑕疵があるということはできない。
したがって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本件申告及び本件各処分が無効であるとする原告らの主張は理由がない。
三 本件申告ないし本件各処分につき後発的是正事由が発生しているか否か(争点2)
1 相続税法は、相続によって取得した財産の価額は、当該財産の取得の時における時価によるものであるとし(二二条)、右にいう「取得の時」とは、具体的には被相続人の死亡の日をいうものと解される。したがって、相続による財産の取得後に社会経済上の理由によってその価値が低落した場合であっても、課税価格に算入されるべき価額は、相続開始時のその財産の時価とすべきものと解される。
他方、申告後の後発的事由により課税標準等に変動が生じた場合の救済は、更正の請求によって図られることが予定されており、相続税に関する更正の請求については国税通則法二三条二項、その特則としての相続税法三二条においてそれぞれ定められている。しかしながら、相続開始時において不動産に設定されていた抵当権が、後に実行され、相続人が相続財産たる不動産を失った場合については、特段の定めが置かれていない。
2 ところで、原告らは、相続財産たる不動産に設定されていた抵当権が実行され、求償権の行使も全く不能な状態となり、当該相続財産が無価値となった場合には、当初抵当権の負担を考慮することなく評価されていた当該財産の価値が、結果として実現せず、右価値に対する課税はその根拠を失うから、課税庁は当該課税の効力を主張して未納の相続税を徴収することができず、既に納付させた相続税を返還すべきであると主張する。
そこで検討するに、そもそも、抵当権の負担のある不動産であっても、それを考慮せずに相続開始時の時価によって評価するのは、一般に、担保権が実行されるか否かが不確実であり、また、担保権を実行されても債務者に求償することが可能であることを考慮したものであることは前述のとおりである。他方、相続開始時以後においては、抵当権の負担のある不動産といえども、抵当権が実行されるまでは、所有者において使用収益することは妨げられないから、財産としての価値は少なくともその限度において存在するものである。加えて、抵当権付き不動産を相続した者は、抵当権が実行されても、債務者に対し求償権を取得するから、それにより当該不動産の財産的価値相当額を当然に失うことになるものではないし、また、当該相続人が抵当不動産の所有権等の第三取得者たる地位にあるときは、抵当権の滌除をすることにより、その物的責任を免れ、当該不動産を保全する手段が認められている。さらに、抵当権の被担保債権の債務者がその債務を弁済できない状態に至ったとき、右相続人において、<1>抵当権の実行を甘受するか、<2>当該不動産を任意に売却し、その代金をもって債務を代位弁済するか、<3>他の手段により資金を調達して当該不動産の所有権を維持するかは、自らの利害得失を勘案して選択するところにゆだねられているものである。
ところで、抵当権が実行され、右相続人が債務者に対して取得する求償権の行使が不能な状態になった場合には、右相続人は当該不動産の財産的価値を失うことになるが、右に述べたとおり、抵当権付き不動産の相続人は、相続開始後においてその使用収益権を有するのみならず、抵当権の実行を甘受せず、当該不動産を保全するかどうかの選択権を与えられているのであって、その法的地位を考慮すれば、結果的に抵当権の実行と求償権の行使不能という事態が生じたからといって、当該不動産が相続開始時から無価値であった場合と同視できないことは明らかというべきである。しかして、右の抵当権の実行と求償権の行使不能という事態は、その原因となる抵当権の負担が相続開始時に既に存在していたという点で、相続により取得した財産の価値が相続開始後に当該財産自体の変化ないし経済的事情の変化等により減価し又は消滅した場合とはやや趣を異にするものの、前述した抵当権付き不動産の相続に係る利益状況を勘案すれば、前者を後者と同視して取り扱うこともあながち不合理とはいえないと考えられるところであり、右の事由をもって、当該抵当権付き不動産に対する相続税の課税の根拠を失わせる原因になるものと解するのは相当でない。後発的事由による更正の請求について定める国税通則法二三条二項、相続税法三二条は、右の事由を課税を是正すべき後発的事由として規定していないが、それは右のような考え方に基づくものと解される。
よって、原告らの主張を採用することはできない。
3 また、原告が引用する最高裁第二小法廷判決は、「権利確定主義のもとにおいて金銭債権の確定的発生の時期を基準として所得税を賦課徴収するのは、実質的には、いわば未必所得に対する租税の前納的性格を有するものであるから、その後において右の課税対象とされた債権が貸倒れによって回収不能となるがごとき事態を生じた場合には、先の課税はその前提を失い、結果的に所得なきところに課税したものとして、当然にこれに対するなんらかの是正が要求されるものというべく、それは、所得税の賦課徴収につき権利確定主義をとることの反面としての要請であるといわなければならない」としたものである。
これに対して、抵当権の設定された不動産は、一般に、その使用収益において何らの制約もなく、また、物上保証人は単に物的責任を負うだけであって、人的責任を負っているわけではないから、当該財産の取得時において、課税されるべき財産としての実体を有しているということができ、後にその実体が失われたとしても、相続開始時の評価を前提とした課税が当然にその前提を失うとまでいうことはできないことは、前記2で述べたとおりである。したがって、右事案と本件とは、事案を異にするというべきである。
四 以上によれば、原告らの請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条、六五条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 青栁馨 裁判官 谷口豊 裁判官 加藤聡)
別表一
本件課税処分等の経緯(原告西原正也)
<省略>
別表二
本件課税処分等の経緯(原告田口由紀)
<省略>
別紙一
<省略>
別紙二
相続税額計算書
<省略>